在校生・卒業生の声
荒 絵理子
コンセルヴァトリウムは私の救世主
私は日本の音楽大学を卒業して、すぐ留学をしたいと思っていたのですが、プロオーケストラの仕事を頂けたりしていてので「まだいいかなー。」と思っていたら、すっかりタイミングを逃してしまいました。オーケストラに就職したら、簡単に行かれるものではなく、楽団から一年に一人しか行かれないので順番があったりして、すぐには行くことは出来ませんでした。それでもあきらめずなんとなくこのタイミングだ!と思った時は30歳を過ぎていました。とりあえず奨学金を申請して、習いたい先生を探して…。これだけの作業でもオーケストラの仕事をしながら大変なのに、ドイツの学校の入試を受けに行くのは困難でした。まず語学の資格がないと入試が受けられないというのです。しかも入試の日程が「5月下旬、6月上旬」しか書いてありません。私のオケは年間180公演もあるオケなので、リハーサルを含めほぼ毎日仕事してます。
入試のためにそんな期間あけられる訳はありません。
それでも徹夜してわからないドイツ語をなんとかして2校くらい願書を出しました。結局2校とも語学の資格がなく最終的に受けられなかったのですが、その知らせを受けたのがドイツに行こうとした前日などでした…。
飛行機をキャンセルしたり、乗り番を調整したり、オケに迷惑かけていたので、急遽公演に出たり…。
身も心もボロボロになり散々な思いをして留学を諦めていた時、テープ審査でもOKという学校を見つけました。
それが私の救世主コンセルヴァトリウムです。急いでテープを作り、願書を出しました。受け入れてくれるという連絡を受け、やっとやっと留学が実現することになりました。
コンセルヴァトリウムはドイツに行ってからも、たくさんのサポートがありました。
アパートの相談、ビザの取得するための書類も揃えてくださいますし、何よりもデッカルト先生、レルヒェ先生、美由紀さんが全力で面倒をみてくださいます。
この本当に温かいサポートは一生忘れることはありません。
そしてオーボエのローデ先生は、毎週レッスンしてくださいました。一緒に吹かせて頂いたこともあり、それはかけがいのない経験になりました。
素晴らしい一年を与えてくださったコンセルバトリウムに心から感謝しております。
コンセルヴァトリウムは私の救世主
私は日本の音楽大学を卒業して、すぐ留学をしたいと思っていたのですが、プロオーケストラの仕事を頂けたりしていてので「まだいいかなー。」と思っていたら、すっかりタイミングを逃してしまいました。オーケストラに就職したら、簡単に行かれるものではなく、楽団から一年に一人しか行かれないので順番があったりして、すぐには行くことは出来ませんでした。それでもあきらめずなんとなくこのタイミングだ!と思った時は30歳を過ぎていました。とりあえず奨学金を申請して、習いたい先生を探して…。これだけの作業でもオーケストラの仕事をしながら大変なのに、ドイツの学校の入試を受けに行くのは困難でした。まず語学の資格がないと入試が受けられないというのです。しかも入試の日程が「5月下旬、6月上旬」しか書いてありません。私のオケは年間180公演もあるオケなので、リハーサルを含めほぼ毎日仕事してます。
入試のためにそんな期間あけられる訳はありません。
それでも徹夜してわからないドイツ語をなんとかして2校くらい願書を出しました。結局2校とも語学の資格がなく最終的に受けられなかったのですが、その知らせを受けたのがドイツに行こうとした前日などでした…。
飛行機をキャンセルしたり、乗り番を調整したり、オケに迷惑かけていたので、急遽公演に出たり…。
身も心もボロボロになり散々な思いをして留学を諦めていた時、テープ審査でもOKという学校を見つけました。
それが私の救世主コンセルヴァトリウムです。急いでテープを作り、願書を出しました。受け入れてくれるという連絡を受け、やっとやっと留学が実現することになりました。
コンセルヴァトリウムはドイツに行ってからも、たくさんのサポートがありました。
アパートの相談、ビザの取得するための書類も揃えてくださいますし、何よりもデッカルト先生、レルヒェ先生、美由紀さんが全力で面倒をみてくださいます。
この本当に温かいサポートは一生忘れることはありません。
そしてオーボエのローデ先生は、毎週レッスンしてくださいました。一緒に吹かせて頂いたこともあり、それはかけがいのない経験になりました。
素晴らしい一年を与えてくださったコンセルバトリウムに心から感謝しております。
高畑 美紀・友紀
日本で音大を卒業していない私たちは、ドイツに知り合いがいなかったので、この日本人留学生特別コースがドイツの音大で勉強する第一歩になりました。 ドイツ語を日本で少し勉強してきたとはいえ、日常生活はもちろんドイツ人の先生のレッスンなど、ドイツ語での会話が思っていた以上に大変でした。入試のと きにもドイツ語の試験がありますし、入学後はもちろんすべての講義をドイツ語で受けなければならないので、今思うとあのとき入試の直前まで週5日語学学校 に通っていてよかったと思います。 この日本人留学生特別コースを終えるのと同時に音大に入学しようと思うと、このコースを修了するまでに、出願から入試までのすべて終えていないといけない ので、慌ただしい日々でした。学校によって出願期間や、必要とされるドイツ語の語学証明のレベルなどが違うので、早くから受験の情報収集をされることをお 勧めします。 苦労することはたくさんありましたがとてもいい経験になりましたし、その苦労を分かち合える友だちにも出会うことができた貴重な1年でした。
友枝 洋平
僕はハンブルク音楽院で3年間テューバを学びました。
最初の1年は日本人留学生コースでドイツ語での音楽理論や文化を学び、残りの2年はその知識を活かし、芸術家過程(Künstlerishe Reife)に在籍しレッスンを受けるかたわら、オーケストラでの演奏や室内楽、あるいは教会での礼拝演奏など、テューバ奏者として、様々な経験をすることができました。
日本の学校に在学していた時は、管楽器専攻生とのつながりがほとんどでしたが、ハンブルク音楽院ではピアノや声楽専攻生との交流も多く持てました。
ドイツ人だけでなく、様々な国から同じ目的を持って集まった留学生たちとの出会いは、僕の貴重な財産です。
練習終わり、息抜きに行くゲンゼマルクト沿いにあるいきつけのカフェ。ちょっと良い服を着てでかけるオペラ鑑賞。凍える寒さの中、それでも行かずにはいられないクリスマスマーケット。ハンブルクは僕にとって忘れられない街となりました。
帰国後、日本人留学生コースで知り合った同級生たちと演奏会を開催しました。今後も続けていきたいと思っています。
最初の1年は日本人留学生コースでドイツ語での音楽理論や文化を学び、残りの2年はその知識を活かし、芸術家過程(Künstlerishe Reife)に在籍しレッスンを受けるかたわら、オーケストラでの演奏や室内楽、あるいは教会での礼拝演奏など、テューバ奏者として、様々な経験をすることができました。
日本の学校に在学していた時は、管楽器専攻生とのつながりがほとんどでしたが、ハンブルク音楽院ではピアノや声楽専攻生との交流も多く持てました。
ドイツ人だけでなく、様々な国から同じ目的を持って集まった留学生たちとの出会いは、僕の貴重な財産です。
練習終わり、息抜きに行くゲンゼマルクト沿いにあるいきつけのカフェ。ちょっと良い服を着てでかけるオペラ鑑賞。凍える寒さの中、それでも行かずにはいられないクリスマスマーケット。ハンブルクは僕にとって忘れられない街となりました。
帰国後、日本人留学生コースで知り合った同級生たちと演奏会を開催しました。今後も続けていきたいと思っています。
伊藤正紀
長年のあこがれの国ドイツ。そのドイツで留学生活が送れるとはなんという幸運でしょう。
60歳での渡独。しかも海外旅行経験の全くない人間。家族の反対もありました。大勢の音楽仲間も賛否両論。「うらやましい、自分も出来ればそうしたいが仕事や家族のしがらみがあるので……」「その歳になって行ってどうなる?日本でもまだまだやることがあるだろう」等々…
その中で背中を押してくれたのが声楽の師であるO先生の言葉でした。
「留学があなたの声にとって良いか悪いかは正直言ってわからない。でも少なくともベートーヴェンやシューベルト、シューマンが暮らした土地での生活は必ずプラスになるはず。行ける時に行くべきです。たとえ3カ月しか続かなかったとしても良いんじゃない?変な声になって帰ってきたら私が直してあげますョ。」そしてなんと「少ないけど…」と言って奨学金まで用意しくださったのです。
わたしは留学にあたっての綿密な準備はほとんど出来ませんでした。ただ、できるだけ多くの演奏機会を持ち日本の歌も紹介してドイツの人たちと交流したい—ドイツ音楽を学ぶのは当然です—それが音楽学校で学ぶことはなかったけれど様々な場所で歌ってきた自分にふさわしいことではないか、と漠然と考えていたのです。
そのことが自分の思っていた以上に実現してしまったことも驚きです。
それはなぜかと考えてみると、ドイツには音楽を本当の意味で楽しむ土壌があり、音楽に対する敬意があるからだと思います。レッスンに日本歌曲を持っていったこともあります。もちろん日本語は解らないわけですが「この言葉はどういう意味?」という先生の問いに答えると「それだったらこう歌うべき」と明確な指摘をされます。それは音楽に対する敬意を感じる瞬間であり、音楽はインターナショナルなんだと胸が熱くなります。
見ず知らずの合唱団に飛び込んで行って一緒に歌うと「おぉ、この曲を知っているのか!」とそれだけでもコミニュケーションはすすみます。私はほとんどドイツ語への備えはなく、こちらにきての2ヶ月間の一夜漬けに近いドイツ語なので流暢に会話する友人たちを見ていると反省しきりです。 「友人」とはいえ私の娘や息子に当たる年代です。そんな「友人」たちと交流できるのも音楽あってのことでしょう。自分にとっては何回目かの青春というわけです。
ハンブルク音楽院の特徴とは何でしょう?人によってそれぞれ感じ方は違うかもしれませんが、私は何人もの先生による指導が重層的に受けられることを挙げたいです。私は一連のレパートリーについて声楽、コレぺティ、ピアノなど4人の先生の指導を受ける機会に恵まれました。曲そのものの解釈以外にも選曲に対する考え方、曲間のつなぎのことなど多彩な考え方に接することが出来ました。
そしてInternational Studienjahre の課程には年齢制限がありません。一通りの社会的役割を果たしてきた人たちが、新たな道へ踏み出すことを応援してくれます。もちろん健康で元気だから出来ることですが、それを過信すべきでないことも申しあげておきます。いくら暮らしやすいとは言っても外国です。病気や事故・トラブルは必ずあります。十分な補償のある保険に加入することをお勧めします。
60歳での渡独。しかも海外旅行経験の全くない人間。家族の反対もありました。大勢の音楽仲間も賛否両論。「うらやましい、自分も出来ればそうしたいが仕事や家族のしがらみがあるので……」「その歳になって行ってどうなる?日本でもまだまだやることがあるだろう」等々…
その中で背中を押してくれたのが声楽の師であるO先生の言葉でした。
「留学があなたの声にとって良いか悪いかは正直言ってわからない。でも少なくともベートーヴェンやシューベルト、シューマンが暮らした土地での生活は必ずプラスになるはず。行ける時に行くべきです。たとえ3カ月しか続かなかったとしても良いんじゃない?変な声になって帰ってきたら私が直してあげますョ。」そしてなんと「少ないけど…」と言って奨学金まで用意しくださったのです。
わたしは留学にあたっての綿密な準備はほとんど出来ませんでした。ただ、できるだけ多くの演奏機会を持ち日本の歌も紹介してドイツの人たちと交流したい—ドイツ音楽を学ぶのは当然です—それが音楽学校で学ぶことはなかったけれど様々な場所で歌ってきた自分にふさわしいことではないか、と漠然と考えていたのです。
そのことが自分の思っていた以上に実現してしまったことも驚きです。
それはなぜかと考えてみると、ドイツには音楽を本当の意味で楽しむ土壌があり、音楽に対する敬意があるからだと思います。レッスンに日本歌曲を持っていったこともあります。もちろん日本語は解らないわけですが「この言葉はどういう意味?」という先生の問いに答えると「それだったらこう歌うべき」と明確な指摘をされます。それは音楽に対する敬意を感じる瞬間であり、音楽はインターナショナルなんだと胸が熱くなります。
見ず知らずの合唱団に飛び込んで行って一緒に歌うと「おぉ、この曲を知っているのか!」とそれだけでもコミニュケーションはすすみます。私はほとんどドイツ語への備えはなく、こちらにきての2ヶ月間の一夜漬けに近いドイツ語なので流暢に会話する友人たちを見ていると反省しきりです。 「友人」とはいえ私の娘や息子に当たる年代です。そんな「友人」たちと交流できるのも音楽あってのことでしょう。自分にとっては何回目かの青春というわけです。
ハンブルク音楽院の特徴とは何でしょう?人によってそれぞれ感じ方は違うかもしれませんが、私は何人もの先生による指導が重層的に受けられることを挙げたいです。私は一連のレパートリーについて声楽、コレぺティ、ピアノなど4人の先生の指導を受ける機会に恵まれました。曲そのものの解釈以外にも選曲に対する考え方、曲間のつなぎのことなど多彩な考え方に接することが出来ました。
そしてInternational Studienjahre の課程には年齢制限がありません。一通りの社会的役割を果たしてきた人たちが、新たな道へ踏み出すことを応援してくれます。もちろん健康で元気だから出来ることですが、それを過信すべきでないことも申しあげておきます。いくら暮らしやすいとは言っても外国です。病気や事故・トラブルは必ずあります。十分な補償のある保険に加入することをお勧めします。
丸山 智恵
私がドイツで音楽の勉強を始めたきっかけは、コンセルヴァトリウムの日本人コースでした。
留学したいとは考えていたものの、語学の面でも実技の面でも不安があった私には、とりあえず1年間、と決めてドイツに行くことにしました。
初めての留学生活で、本当に分からないことばかりでしたが、このコースで知り合ったお友達と一緒に、ひとつずつ自分たちで問題を解決してくうちに、この国への理解が深まりました。
また、あらかじめ学校から用意されている、日本人コースの生徒への特別の配慮には、問題が起こる度に、本当に助けられました。
室内楽のレッスンでは、一人でのレッスンと違い、お互いにドイツ語での先生の説明を理解しようと、後で日本語で復習しながらできたことが、とても楽しく実りあるものでした。
留学する前の、さまざまな不安が少しずつきえていった一年間でした。
今、私は、日本人コースで知り合った先生につきながら、演奏コース(Aufbaustudium)を終え、芸術演奏コース(Künstlerische Reife)に進んでいます。
試験に追われていた日本とは違い、自分のペースで進められているドイツでの勉強は、少しずつですが確実に身についていく実感があります。
初めはゆっくりと簡単なドイツ語で説明してくれていた先生が、少しずつ複雑で専門的なレッスンをしてくれるようになっていき、もし、私もドイツ人のように言葉が理解できたらもっとレッスンも楽しくなるのだろう、という思いで勉強を続けてきました。
今では、新しい言葉を日々勉強できることがとても楽しくなっています。
ゆっくりと気負わずはじめた日本人コースでの勉強のおかげで、じっくりと自分の成果を見つめながら勉強を続けることができました。
留学したいとは考えていたものの、語学の面でも実技の面でも不安があった私には、とりあえず1年間、と決めてドイツに行くことにしました。
初めての留学生活で、本当に分からないことばかりでしたが、このコースで知り合ったお友達と一緒に、ひとつずつ自分たちで問題を解決してくうちに、この国への理解が深まりました。
また、あらかじめ学校から用意されている、日本人コースの生徒への特別の配慮には、問題が起こる度に、本当に助けられました。
室内楽のレッスンでは、一人でのレッスンと違い、お互いにドイツ語での先生の説明を理解しようと、後で日本語で復習しながらできたことが、とても楽しく実りあるものでした。
留学する前の、さまざまな不安が少しずつきえていった一年間でした。
今、私は、日本人コースで知り合った先生につきながら、演奏コース(Aufbaustudium)を終え、芸術演奏コース(Künstlerische Reife)に進んでいます。
試験に追われていた日本とは違い、自分のペースで進められているドイツでの勉強は、少しずつですが確実に身についていく実感があります。
初めはゆっくりと簡単なドイツ語で説明してくれていた先生が、少しずつ複雑で専門的なレッスンをしてくれるようになっていき、もし、私もドイツ人のように言葉が理解できたらもっとレッスンも楽しくなるのだろう、という思いで勉強を続けてきました。
今では、新しい言葉を日々勉強できることがとても楽しくなっています。
ゆっくりと気負わずはじめた日本人コースでの勉強のおかげで、じっくりと自分の成果を見つめながら勉強を続けることができました。
山本 善則
ハンブルグ・コンセルヴァトリウムで勉強を始めておよそ3年になりますが、この間に感じたこと、体験したことは、自分自身に非常に有意義な経験ばかりであったと思います。
例えば買い物は土日に出来ず、平日もほとんどは夜8時でお店が閉まることに、初めのうちは不便さを感じましたが、逆にそれがドイツののんびりした雰囲気を作っていることに気づきました。夏は夜12時ごろでもまだ少し明るかったり、冬は昼過ぎにはもう夕暮れになったりと、日本とは季節、気候も大きく異なります。この風土、習慣の中で生まれた音楽を、この空気の中で演奏することによって、より毎日の生活を音楽的に感じることが、私にとってこの留学の最大の魅力です。
日本人留学生特別コース終了後、さらに続けて勉強する為に当校本科の試験を受けたのですが、私の場合この試験での演奏が認められ、本来進むべき2年間の演奏コース(Aufbau)ではなく、一つ上の芸術演奏コース(Künstlerische Reife)へ進学することができました。真剣に音楽を志す人にとって、このようにより深い研鑽を積むチャンスが与えられることは、こちらならではの事だと思います。
日常の生活においても、日本人スタッフの方に常々手伝ってもらい、今まで何か事あることに助けていただいてます。試験、音楽の前にまずは生活の安定が大事ですが、そこがうまくサポートされているので留学生活の不安を最小限に抑えることが出来ました。
今は良い留学生活にとても満足しています。
例えば買い物は土日に出来ず、平日もほとんどは夜8時でお店が閉まることに、初めのうちは不便さを感じましたが、逆にそれがドイツののんびりした雰囲気を作っていることに気づきました。夏は夜12時ごろでもまだ少し明るかったり、冬は昼過ぎにはもう夕暮れになったりと、日本とは季節、気候も大きく異なります。この風土、習慣の中で生まれた音楽を、この空気の中で演奏することによって、より毎日の生活を音楽的に感じることが、私にとってこの留学の最大の魅力です。
日本人留学生特別コース終了後、さらに続けて勉強する為に当校本科の試験を受けたのですが、私の場合この試験での演奏が認められ、本来進むべき2年間の演奏コース(Aufbau)ではなく、一つ上の芸術演奏コース(Künstlerische Reife)へ進学することができました。真剣に音楽を志す人にとって、このようにより深い研鑽を積むチャンスが与えられることは、こちらならではの事だと思います。
日常の生活においても、日本人スタッフの方に常々手伝ってもらい、今まで何か事あることに助けていただいてます。試験、音楽の前にまずは生活の安定が大事ですが、そこがうまくサポートされているので留学生活の不安を最小限に抑えることが出来ました。
今は良い留学生活にとても満足しています。
小林 未来
「ドイツで語学を学びながら、もう一度きちんとした勉強がしたい!!」と思いつつ、「でも、音楽留学ってどうやってするんだろう?」という基本的なところでつまづいていた時、インターネットで、ここハンブルグコンセルヴァトリウムのサイトを見つけました。
なになに?ドイツの音楽学校にもかかわらず「日本語による申し込みでOK・テープによる審査・年齢制限なし・ドイツにて二ヶ月間の語学学校を義務付け・様々な手続き(住居探し・ビザ等)を、日本語を母国語とする方がお手伝い」と書いてあるではありませんか!そんなこんなで気が付けば、ドイツ語もろくに話せないままコンセルヴァトリウムの学生になっている今日この頃。
初めは不安だらけでしたが、カリキュラムの豊富さと先生方のレヴェルの高さに圧倒され、今では不安を感じる暇もないほど充実した学校生活を送ることが出来ています。
声楽科のカリキュラムには、週一回、専門である声楽のレッスンの他、発声法の授業や、コレペティトゥアによるレッスンがあります。発声法は一般的に考える「声楽の発声法」とはことなり、「ドイツ語の発音法」のレッスンであるといえます。母音と子音の関係や、舌をどのように動かすか、といった専門的なことを実際のドイツリートを朗読しながらマンツーマンで指導してくれます。コレペティトゥアのレッスンでは、素晴らしいピアノに支えられアンサンブルすることの重要さを実感できるだけでなく、音楽的・歴史的背景の解説や、正確な発音にいたるまでの細かい指導、時には発声の指導まであり、一曲をとことん追求していく感じです。
授業はもちろん全てドイツ語ですが、どの先生も皆、不慣れなドイツ語を話す学生に慣れているため、こちらの言いたいことを理解しようと注意深く耳を傾けて下さったり、ゆっくりとした口調で話して下さいます。けれどそれに甘えることなく、一日も早くドイツ語会話をマスターし、更に充実した学校生活を送れるようにしたいです。
なになに?ドイツの音楽学校にもかかわらず「日本語による申し込みでOK・テープによる審査・年齢制限なし・ドイツにて二ヶ月間の語学学校を義務付け・様々な手続き(住居探し・ビザ等)を、日本語を母国語とする方がお手伝い」と書いてあるではありませんか!そんなこんなで気が付けば、ドイツ語もろくに話せないままコンセルヴァトリウムの学生になっている今日この頃。
初めは不安だらけでしたが、カリキュラムの豊富さと先生方のレヴェルの高さに圧倒され、今では不安を感じる暇もないほど充実した学校生活を送ることが出来ています。
声楽科のカリキュラムには、週一回、専門である声楽のレッスンの他、発声法の授業や、コレペティトゥアによるレッスンがあります。発声法は一般的に考える「声楽の発声法」とはことなり、「ドイツ語の発音法」のレッスンであるといえます。母音と子音の関係や、舌をどのように動かすか、といった専門的なことを実際のドイツリートを朗読しながらマンツーマンで指導してくれます。コレペティトゥアのレッスンでは、素晴らしいピアノに支えられアンサンブルすることの重要さを実感できるだけでなく、音楽的・歴史的背景の解説や、正確な発音にいたるまでの細かい指導、時には発声の指導まであり、一曲をとことん追求していく感じです。
授業はもちろん全てドイツ語ですが、どの先生も皆、不慣れなドイツ語を話す学生に慣れているため、こちらの言いたいことを理解しようと注意深く耳を傾けて下さったり、ゆっくりとした口調で話して下さいます。けれどそれに甘えることなく、一日も早くドイツ語会話をマスターし、更に充実した学校生活を送れるようにしたいです。
緒方 淳
ハンブルク音楽院「日本人留学生特別コース」で学んだことはたくさんあります。中でも、Lerche先生による楽典や聴音の授業は、国立の音楽大学進学を考えていた私にとって、大きなものでした。
日本の音楽大学を卒業していない私は、音大入試の際、主科の実技の他に副科ピアノ、ドイツ語での楽典・聴音などの試験も受けなくてはならず、ドイツと日本の出題提起の違い、ドイツ語での音楽用語など覚えなければならないものがたくさんある中、留学生特別コースでは外国人である私たちのために、ゆっくりと丁寧に分かり易く教えていただき、スムーズに身に付けることができました。
国立音大に入学した今でも講義やレッスンに役立っています。
その他にもオーケストラや室内楽のプロジェクトに参加でき、街の教会などでの演奏は、私の中で大きな財産となりました。
両親をはじめ、ハンブルク音楽院の先生方、留学生コース担当の高橋さんの暖かい助力により、ここまでやってくることができ、とても感謝しています。
ハンブルク音楽院では、私のような国立音大進学希望者が日本では勉強できない入試のための基礎知識など、とてもいい環境の中で身に付けることができます。
音楽留学の第一歩として、私はハンブルク音楽院をお勧めします。
日本の音楽大学を卒業していない私は、音大入試の際、主科の実技の他に副科ピアノ、ドイツ語での楽典・聴音などの試験も受けなくてはならず、ドイツと日本の出題提起の違い、ドイツ語での音楽用語など覚えなければならないものがたくさんある中、留学生特別コースでは外国人である私たちのために、ゆっくりと丁寧に分かり易く教えていただき、スムーズに身に付けることができました。
国立音大に入学した今でも講義やレッスンに役立っています。
その他にもオーケストラや室内楽のプロジェクトに参加でき、街の教会などでの演奏は、私の中で大きな財産となりました。
両親をはじめ、ハンブルク音楽院の先生方、留学生コース担当の高橋さんの暖かい助力により、ここまでやってくることができ、とても感謝しています。
ハンブルク音楽院では、私のような国立音大進学希望者が日本では勉強できない入試のための基礎知識など、とてもいい環境の中で身に付けることができます。
音楽留学の第一歩として、私はハンブルク音楽院をお勧めします。
村松 匡(日本在住)
私は現在、地元静岡県浜松市において音楽教室を経営しております。音楽教室を開くことは私の念願でもありましたが、ハンブルガーコンゼルヴァトリウムへ留学した経験がその気持ちを更に強めてくれました。
コンゼルバトリウムには、私たちが学ぶアカデミーとは別に早期教育にも力を入れた子供たちのための音楽教室を設けており、その現場を見ることが出来たことは、現在の私の仕事に大きな影響を与えてくれています。
何より、楽器を始められる子供たちが優秀な先生方に指導を受けている様子は、私には衝撃的でした。ドイツでの音楽教育の取り組みとシステムを実際に目にすることで、音楽教育の重要性と理論の重要性を学ばせていただきました。 こうしたシステムを、日本でも確立出来ないものかと、私自身現在、奮闘中であります。
こうした、音楽教育のシステムを知るだけでなく、レッスンの中から奏法に関する大きなヒントを頂くことが出来たことも、現在の仕事に本当に役立っています。なにより、奏法理論の確立が出来たことは、私にとって大きな財産となりました。
良い、悪いではなく、一つの方法論として確立した奏法理論を学ぶことが出来たことは、私自身の技術向上だけでなく、指導をする立場になった現在貴重なものとなりました。
そして最後に、尊敬できる良き師にめぐり会えることは間違いないことでしょう。
追伸 偉大なトランペット奏者であり指導者であった、故Karl Willhelm Oppermannに感謝と哀悼の意を表します。
コンゼルバトリウムには、私たちが学ぶアカデミーとは別に早期教育にも力を入れた子供たちのための音楽教室を設けており、その現場を見ることが出来たことは、現在の私の仕事に大きな影響を与えてくれています。
何より、楽器を始められる子供たちが優秀な先生方に指導を受けている様子は、私には衝撃的でした。ドイツでの音楽教育の取り組みとシステムを実際に目にすることで、音楽教育の重要性と理論の重要性を学ばせていただきました。 こうしたシステムを、日本でも確立出来ないものかと、私自身現在、奮闘中であります。
こうした、音楽教育のシステムを知るだけでなく、レッスンの中から奏法に関する大きなヒントを頂くことが出来たことも、現在の仕事に本当に役立っています。なにより、奏法理論の確立が出来たことは、私にとって大きな財産となりました。
良い、悪いではなく、一つの方法論として確立した奏法理論を学ぶことが出来たことは、私自身の技術向上だけでなく、指導をする立場になった現在貴重なものとなりました。
そして最後に、尊敬できる良き師にめぐり会えることは間違いないことでしょう。
追伸 偉大なトランペット奏者であり指導者であった、故Karl Willhelm Oppermannに感謝と哀悼の意を表します。